僕らが原因だと思っているものは、ただの認識である
値動きについては、いろんな説明が立つ。
でも、最終的に「本当になぜそうなった?」
それは分からない。
たとえば、1つの人間に問おう。
「なぜ生まれたのか?」「母と父がいたから」それはなぜ?「どこどこで出会ったから」それはなぜ?「親の親がいるから」
では、ずっとたどっていくとどうなるだろう?
なぜ人間は生まれた?
人間の祖先は?
生物はどこで生まれた?
地球はどこで生まれた?
宇宙はどこで生まれたのか?
それらはすべて集約される:
「いま、そこにあるから」という瞬間に。
存在をたどっていけば答えはない。
過去をたどれば、今に戻ってくる。
今があって、すべての過去があり、未来がある。
値動きについては、いろんな説明が立つ。
しかしそれらは、その波が存在する「原因」ではなく「結果」に過ぎない。
波があって認識があるのだから。
波とは認識によって生まれるものであり、認識とストロボ写真のようなもので、その真理は1/fのゆらぎである
では、波とはなんだろう?
波動とはすなわち存在そのものだ。なぜ?
波とはすなわち、規則性である。
規則性とは、世の中のあらゆるものが「それ」である担保である。
電子の確率分布とは、
認識というシャッターを切る瞬間における
ゆらぎである。
分子にも分子の波動がある。
物体にも物体の波動があり、
物体で構成された空間を閉じた系として認識すれば、
それ固有の波動がある。
そういったものがcrossingするなかで、
あらゆる結果が記述され、結果は情報空間で認識され、
次のピタゴラスイッチへ写っていく。
ランダム?すべては規則性(正弦波)の分布
ランダムとはなにか。ということを考えることがある。
ランダム性をもたせるように、
規則性をもたせたランダムとは、
果たして本当にランダムなのだろうか。
乱雑さのなかにある秩序。
秩序のない秩序。
たとえば火のゆらぎ。
水の流れ、うねり、波。
1/f のゆらぎ。fとは、周波数、つまりサイクルである。
周波数fに、スペクトルの密度が反比例するゆらぎ。
スペクトルとは、波長をx軸に置いたときの成分の分布である。
すべてのものは複数の正弦波の合成で記述でき、
正弦波に分解することを「フーリエ変換」という。
フーリエ変換したときの振れ幅が
線形的に45度になるような成分の分布を持つ波、
そういった波が1/fゆらぎだ。
つまり、増えすぎても、減りすぎてもいけない。
ありすぎても、なさすぎてもいけない。
いろんなものが混ざっていてよくて、
混ぜたときに波があってよいのだけれど、
実はその波を構成する波は、小さいものから大きなものまで、
どちらにも同じだけの成分がある。
つまり、構成する波たちの分布それ自体も正弦波であるということだ。
フラクタル構造がフラクタルに存在するということで、
私たちはフラクタル性の中に美しさや永遠性を見つける。
1/fは狙ってできるものではない。
分解してみたら、そうなっている。
そういったものの乱雑さのなかに、
わたしたちはきっと、規則性をみつける。
1/f と 黄金比 わたしたちの感じる美しさ
きっと、乱雑さと規則性における規則性にこそ、
何もない世界と、何でもある世界の接点があるかもしれない。
たとえば黄金比をみたとき、私達は「オウムガイの模様」を思うだろうか?
思わないが、無意識で感じる筈だ。
オウムガイの模様、木々の成長やひろがり。
そういったものに「美しさ」「普遍性」「永遠」を感じる理由も分からない。
分からないが、そうなっている。
そういうものこそ、この世の真理では?
波。波とは抽象的なもの。物体でありながら、物体ではない。
状態でありながら、多角的で複合的な存在。
しかし、波を分解する規則性がある。
規則性とは、今という瞬間の描写によって
ストロボ写真のように映し出される揺れ動きである。
右と左、上と下。2項対立と、次元の上昇
陰があれば陽があり、陽があれば陰がある。
陰という概念は陰だけでは存在せず、
陽という概念は陰があるから存在する。
存在するという概念は、存在しない、ということによって存在する。
規則性とは、性質であり、昇華すれば役割となる。
電子と陽子があつまり、鉄分子ができる。クロム分子ができる。この2つを13%の割合で混ぜる。ステンレスになる。ステンレスになればサビない。金属だから溶けない。堅い。人体に害がない。熱を加えても性質が変わりにくい。取っ手とくぼみをつけると、スプーンになる。
存在というもののエクステンションは役割だ。役割とは人間であれば使命だ。だから人は使命を探す。
笑い。涙。感情の共有。表現。
なぜそれらが生きる実感を誘う?
共鳴だ。共鳴とは重なり合いであり、同期。一部を持ち寄ったシェア。3波みたいなものだ。
共感。理解。共有。
拠り所を増やせ、そして拠り所を減らせ。自分都合を自覚せよ。
波長が共鳴して、
より大きな存在になることは、
小さな波をどうするかということより、
より本能的なものだ。
値動きについては、いろんな説明が立つ。
でも、最終的に「本当になぜそうなった?」
それは分からない。
投資家としてのあなたのポジションは1つの波。
チャートをみて意識を飛ばせば、それは波となる。
分析。見立て。基本的な情報はすべてみんな知っている。
テクニカル分析もしている。情報も得ている。
みな、自分に自信があるのである。勝つためにやっている。
そんな人間の9割が負けるのだ。これはどういうことなんだ?
より大きな視点。波がなんと言ってるか。
自分が使っている圧力分析やブレイク判断は視点の1つに過ぎない。
もちろんエントリーの際は、視点の1つを採用する。
しかし、伸びるかどうかは、
そういった視点の集合体の判断である。
同じように圧力分析をしている人。
同じようにブレイク判断をしている人。
その人達の中で勝つには、正確かつ確実に注文を入れるだけである。
しかし、実際に伸びるとは、複数のブレイクを伴う。
つまり10問連続正解、みたいなものだ。
よくトレーダーは「まずは後ろ盾を確認せよ」という。しかし後ろ盾を確認して入ったら、自分が後ろ盾連隊の最後尾だった、ということもある。それまでの動きというのは、あくまでそれまでの動き。今後その動きが波紋を広げるかどうかは別なのである。
「待つ」ということは、「なかなか起きない状況」を指す。それがエントロピーを収縮させる。
波は存在する。あなたの認識は結果である。認識の中から自分都合を排除する
実際のところどうなるか?それはわからない。
トレードの話は割とどうでも良い。
しかし、一トレーダーが予想できることなどたかが知れている。
知れることなど、しれている。
どれだけ突き詰めたところで、わかるのは
「上にいくかもしれないし、下に行くかも知れない」
ということである。
大縄跳びに似ている。
入れる場所が分からないから、
無理やり入るのである。
たまに無事に通り抜けられるから、
それが正しかったのだと思う。
しかし、単にそれは入れていないのであり、
やればやるほど資金を減らすトレードである。
波の性質に戻ろう。
波の結果とは存在であり、説明や認識は結果である。
認識による行動の結果が波になるが、結果としての波は予測できない。
しかし、ある程度のコースやタイミングを絞ることならできる。
その中で、確率の雲を背に、1つのタイミングから乗っていくこと。
それがトレーダーという話だった。
波の存在は?波長と振幅だ。
つまりサイクルと、上下の振れ幅である。
振れ幅とはすなわち、長期足と短期足の分類にほかならない。
それから、波とは共鳴する性質があるといった。
果たして、自身の波は、相場の勝ち組トレーダー、懸命なトレーダーと
共鳴しているだろうか?
経済指標の際に資金を乗せることが危険なのは、
普段から堅実なトレードをしているとして(経済指標専門なら問題ない)、
相場との距離の図り方が違うことで、
経済指標では失敗しやすく、普段のトレードが成功しにくくなるからである。
自分の場が強化されず、その強みが打ち消されてしまう。
長距離の陸上選手が、短距離の陸上に出るようなものである。
テニスプレイヤーにはテニスの筋肉が、そして感覚が
サッカー選手にはサッカーの筋肉が、そして感覚があるわけである。
そして利益が出るかどうか、綺麗にエントリーできるかどうかというのは、
世界中の短距離走者や長距離走者と競っていることに他ならない。
もともと目線がよくて、見立てがよくて、基礎フォームがしっかりしていて、
そういうひとたち(本当は全く同じ人は存在しなくて、自分のゴーストと競っているような感覚)より秀でているから利益が生まれるわけである。
特化しなければ世界で勝てるわけがない。
相場は世界中のトレーダーが参加する戦場である。騙し合いと表現する人間もいる。しかし少なくとも、全員が全員「勝ってやる」と思っている。しかし何日の期間で勝つのか、どうやって勝とうと思っているのか、どうなったら負けを認め大負けを避けるのか、どれだけの勝ちが果たして勝ちなのか、というのは人それぞれで、少なくともその足かせが少なく優位な人のほうが、勝ちやすいというのは事実である。
心理的にどう、とみるのも、オシレーターが上限だからそろそろ、とみるのも、全てのトレーダー(負けトレーダーや、資産が100億あるトレーダーでも今回は損失確定するトレーダーを含む)の個人の視座でしかない。それなしでエントリーする人間はいない。「他のトレーダーはこうだろう」とみるのも、あなたの狭い価値観でしかないわけである。
しかし同時に、自分は自分の持つ価値観でエントリーするしかないのである。全員がそうなのである。唯一できることは、エントロピーを低く保つこと、それからチャートの語りかける事実をみること、ノイズを排除し、バイアスを排除してみること。その上で責任をもってポジションを持ち、一貫性のある態度で極力の自己都合を排除することである。
自分はどこに向けて低いエントロピーを用意しているのか。
そしてそのために、やらないことは何か。
つまり自分は何屋なのか。
それを定義し、自分に対して問題を出すのは自分なのである。
機会には「損失機会」が含まれる
機会が多くても、合格ラインに到達していなければ意味がない。
「上がりそうだ」「下がりそうだ」というのは機会だが、
収益機会であると同時に損失機会でもある。
そしてトータルでみれば、それは損失態度であることが多い。
機会が多くなくても良い理由の1は、
「自分のかけていた網に獲物が引っかかった」というポイントこそが
収益機会になるからである。
世界で戦えるレベル、少なくとも日本トップレベルで
筋肉が引き締まっており、
手応えのあるトレードができるかどうか。
ある程度腕に覚えのあるようなトレーダーばかりである。
素人投資家でも、資金に覚えがあって、経済に詳しい人間から
「ドルは買いだ、押し目で買え、押し目はここにして」と言われたら
適当に買ったって収益が出るのが相場だ。
機会が少なくて良い理由の2つめは、
全ては比率の問題だからである。
波形でpipsが話題になるのは、スプレッドに対してどうか、
という話でしかない。
つまり手数料が安いのか高いのか、というそれだけである。
スキャルピングの場合に手数を増やさないといけないのは、
スプレッドによる利益圧迫が大きいからである。
取れそうなpips、取れていたかもしれないpipsが大きくても、
損切りまで遠く、半分以上逆行したり、
その場合にレバレッジ管理が甘くって利益確定の前に損失確定で
エントリー退場してしまえば、意味がない。
最終的に利益が出たとしても、
利幅以上に逆行するというのなら、
小さな逆行で切るか、逆行するまで待つか。
そのどちらかは必ず選択できた筈で、できないのなら、
MTFをやっているようで、大きな波の規則性に賭けつつ、
小さな波の伸び切った先でエントリーしているに過ぎないので、
トータルでは大きく損失を出すスタイルなはずである。
すべては比率なのである。
極論、1pipsの得であっても、確率が100%あるのなら、
世界中の人間から借金してでもそこに突っ込む必要がある。
100%とはそれだけの重みがある。
勝って喜ぶな。負けて悲しむな。
トレーダーとしての役割は、資金を増やし続けることであり、
少なくともドローダウンを管理することである。
大きく利益が出たときに喜ぶよりも、
大きく損失を出したときには、腹を切るか、数日から数週間の謹慎期間を設けるか、トレードを引退することを検討するべきである。
リスクリワードは波の比率の問題であり、
波の大きさもまた、比率の問題である。
待つ時間が大きいほど、判断には余裕が生まれ、エントリーを急ぐ必要もなくなる。対抗勢力として上位波を分析するにも、1hを上位足にしてしまうとぶつかる局面が多くて大変である。
共鳴と波長、小さな波が大きくなる。それは日常生活でも。
自分は波の動きに共鳴し、また、
自分が入ったあとの波の動きにも共鳴が入る。
そうした共鳴の規則性やリズム。
また、勝ちトレーダーと負けトレーダーの共鳴もある。
勝ちトレーダーは無駄な分析をしない。
考えすぎることもない。
シンプルで削ぎ落とされた、
自分の戦術のためだけの筋肉を持っている。
負けトレーダーは無駄な分析をする。
考えすぎて、どっちかわからなくなる。
どうせポジションを取るというリスクをとるのに、
どちらのポジションもよいなと考えてしまう。
自分のスタイルがなく、色んな波長を混ぜ合わせて、
何にも特化していない筋肉を持っている。
普段趣味でテニス「も」やる人間が、
生涯かけてテニスをやっている人間と戦うようなもので、
プロテニスプレーヤーと戦うようなものである。
勝ちトレーダーには勝ちトレーダーのリズムがある。
勝てば出金し、美味しいご飯を食べ、
良き人と成果を振り返り、良いものに触れ、
良いものを良いと思ってくれる人と感情を送りあい、
また充填された気力で分析し、獲物がかかるまで待ち、
いつもどおりにトレードをして、だからトータルプラスになる。
負けトレーダーには負けトレーダーのリズムがある。
ずっとチャートをみて、プライベートを犠牲にし、
人といがみあって、人を批判して、人を拒絶して、人に拒絶される。
今度こそは…という気持ちで狭い視野でチャートをみて、
すべてがエントリーできないようにみえて、
すべてのポイントでエントリーできるように見える。
エントリーポイントが悪く、含み損の時間が長く、利益が伸びない。
含み損で切ればチャートは伸び、含み損を耐えれば逆行する。
利益を伸ばそうとすれば伸びず、すぐに利確すると伸びる。
それでまた、無理なエントリーを繰り返す。
無理なエントリーを繰り返すから資金が減りがちで、
口座がなくなれば入金する。だからトータルマイナスになる。
負けトレーダーに共通することは、
勝てる方法がわかっていないこと、勝てる方法でやっていないことである。
勝てる方法を知っていても、できないのなら、やっていないのと同じである。
MTFでやってることは「だいたいこの辺」。フィボナッチもオシレーターもダウも「おまじない」
極論、難しい組み合わせをしなくても、
日足と4hでチャンスに見えるポイントで入れば、
また十分に待てば、また含み損でも問題のない資金量を置けば、
そして好きなところで利確をして、また機会を待てば、
ぶっちゃけた話利益なんか出て当たり前なのである。
それを、細かい足の分析をして、
細かい足の動きを無理やり上位足に結びつけて、
これだけ動いてるのに勿体ないとか、
オシレーターが反応しているようにみえるとか、
反応しているものだけに反応していると、
値動きに反応して同じ方向にエントリーするだけのトレーダーになる。
値動きに反応して逆方向にエントリーするだけのトレーダーになる。
まずは自分が下手なら、下手だと認識する事。そこから始まるのである。
相場は他人都合で動く。相場の中に投げ込む波長は自分で決めよ。
デモトレードで100戦100勝でも、
リアルトレードでは時間は早巻きできない。
ポイントに到達する時間を見逃す可能性だってある。
デモトレードで勝てないなんてのは、問題外だ。
そして、自分の存在も波であり、自分の思考回路も波である。
波があると、性質が出る。役割が出る。
勝ちトレーダーには勝ちトレーダーのリズムがある。
自分のスタイルのトレーダーにはそのリズムがある。
勝てるか、負けるか。というよりも、
自分がどのような役割のトレーダーでありたいか。
なぜ自分の手法ではトータルプラスになるのか。
何は混ぜないのか。
そうやって、
自分の波長のリズムがそうであれば、
相場の良い面と共鳴して、
そうなるのである。
そうやってはじめて、トレーダーとして二足歩行ができるようになったと言える
参考