90%の市場参加者はただのギャンブラーである
動物的な原始脳でエントリーしたくなり、後付で理由を付けているだけ
「エントリーしたくなる→エントリーしてみる→利益になった→手法肯定されたぜ!→こんなトレードしました!いいですよね!?」
「もっともっとエントリーしたくなる→エントリーする→損失になる」
「次こそは!と思ってエントリーする→逆行する→さすがに次くらいは…→もっと大きな損失になる」
「自信をなくす→別の手法、別の考え方を探し出す」
このループです。
チェックリスト
楽しんでいないだろうか?ワクワクしてないか?
こうなったら…とか希望的観測していないか?
ここらへんのレベルはパンチが弱いくせに、ガードも弱いです。相手も倒せませんし、一瞬で致命傷をくらいます。なので、負けたらガード固くするんですけど、勝ったり、自分のポジションを中心に相場を考えすぎて、ノーガードでマイク・タイソンやメイウェザーの前で挑発するみたいなことをします。
このレベル感で取るべき心構え
取れる相場はかなり限定されます。1h4hの押し目戻り目。
水平線の扱いとか、トレンドラインひくとかやめたほうが良いです。
波を取り切るとかもNG。大きな波の中の一部だけをいただくイメージ。
このレベル(FXトレーダーだと思ってる一般人)でも意図的に儲かるところっていうのは、基本的にはむちゃくちゃ伸びます。どの手法使っても取れるレベルです。マクロでみても理由がつくレベルです。「めっちゃ伸びたところを取ってやったぜ!」と思ってるかもしれないけど、そこは皆同じ目線なんだから、伸びるに決まってるんだよ。むしろ、その後相場は大きな調整に入るので、その分も含めて取っているようなもんなんですよね。
岩砕いて金掘りだしているようなもんですわ。マジでゴールドラッシュのときに何がいいかって、手法を売る、服を売るのが一番いいんですよね。
で。ポイントは、そのポイントのために、裏で使った経費なんだよね。時間もそうだし、損もそう。で、大きな動きがあったとて、次は1ヶ月後、2ヶ月後。とかそのレベルです。
自分は下手である、ほとんどの相場は歯が立たない、期待値マイナスである、やることがない。がちゃがちゃ動かすだけ損につながる。それを念頭に「確実に価格更新方向の逆転」を狙うっちゅーこと。
基本的にはやることなし、確認→意思決定(9割はやらない、0.1割くらいで実行する)のがほぼなのよ。
10%のうちさらに9割はデモトレードで訓練しだす
ここにたどり着いた時点で上位9割です。あとはレベルアップするだけ。先の見えない世界です。
○手法完成→そのシナリオになる→それ通りやる→今回は利益/損失になった→次も同じことをやる
これが目指すべきところです。でもそのためには入りたくなるような相場の伸びもスルー、待たないといけないし、せっかくトレードして「利益が出た」としてもそれは「そりゃ利益が出るようにやってるんだからそうなるだろう」という、ワクワク感がない感じになります。それでいいのです。
卒業おめでとうございます。
チェックリスト
- 完成されたパターンでのみ入っているだろうか?
- 自分が「考えた」ということ自体に全く意味はない、全てのタイミングや勢いは相場のみぞ知る
- 果たして自分が考えたシナリオは売り買い両方に対して平等だろうか?
- 平等ではあるが公平ではない。平等にみて不公平になった瞬間は?
- 今までよりトレードが「つまらなくみえて」いるだろうか?
- 「退屈」さを感じているだろうか?感じているとしたら、いい兆候
- いかに抽象化された見方ができているだろう?
- 実行の局面では家事代行を頼むような、無慈悲さとフラットさで実行できているだろうか?
- ロウソク足の勢いや流れは全く関係がなく、伸びているところは人の恐怖でできている
- そろそろトレードがしたくなる自分、そういうのを内省しているか?
- 欲望はじわじわと膨れ上がるもの、行動は一瞬で終わるもの、恐怖は一瞬で訪れるもの、後悔は続くもの。
- 原始的な脳、それを同じく持っているであろう大勢の欲望を見下ろす視点にいるだろうか?
心構え
今までは目隠しして振り回していた棒。目隠しを取ると「こんな世界だったの?」ってなります。目を開きながら、目に見えないものを見るということです。どんなものでも突き詰めるとシンプル。
しかも相場の場合は、自分がいわば「玉を転がす空気や重力の1つ」となるわけで、その身分をもって「玉が向こうに転がるだろう」みたいに考えているわけですので、要はメタ視点がないと絶対にいかんわけです。自分とは違う次元で動くものごとに対して、ベッドしている。ということは、「こうなるだろう」というのは絶対にない。絶対にです。
ものごとを削ぎ落として、ロジックを突き詰めていくと、ロジックだけでは説明できない世界にぶち当たると思います。
なぜかわからんけど、そうなる。コップの水を飲む時に、重力とか、ベクトル計算とか、口とコップの距離とか、その軌道とか、そんなものをいちいち計算しているわけはないのです。
相場も体を動かすのと同じで、時間に対して意識的な処理をしていては、間に合わない。
とあるベクトルに対して、感覚的なパッケージングをしていく。
体が無意識で反応するように、あるいは「反射的にダメだ!」と思うように。
そういう、無意識的な感覚を、意識的じゃない方向へ、つまり原生林の中に住んでいた我々の、危険察知能力や、何が良くて何がわるいかといった判断、そういうものを、1つ次元の上のものへ合わせていくアプローチ、物理空間を越えたスポーツ、いってみればそんなもんかもしれない。
なので情報空間原始時代と言えるかもしれない、今は。
人間が脳を40万年で発展させてきて、いまさら、0.005万年やそこらで、急に脳の仕組みがアップデートされることはない。なので、自分という個体はバカなのである、適性を持っていないのである、というところを出発点にするゲーム。
そのための検証、練習、アウトプット。
最後に
とはいえ、相場はそこまで難しいもんではない
待てばよいのだ。
自分が楽をしようとさえしなければ、矮小で卑屈な自分の思った通りになれとさえ願わなければ、「なんかそうなる」ものなのである。
- いつまでに稼ぎたいとか(時間軸には制約がある)
- いくら稼ぎたいとか(その時伸びる幅も決まっている)
- 損はしたくないとか(不確実だからこそそこにチャレンジ幅がある、不確実へどう対処するかという問題)
- テクニカル通りにいってほしいとか(無數のテクニカルがあり、その全てを観測することは不可能である不確定性原理、水の温度を性格に把握することはできない)
- 確実がほしいとか(確実があると思うと、ほぼ”確実”にNGw)
- 喜びたいとか(チャートはお母さんではないし教育者でもなく、海であり山の天候と同じ)
- 自分だけは分析して正解を得てやりたいとか
なんかもうそういう全ての煩悩。そういうのは「お前」の問題であって、相場には関係ない事。
山には海には無限の幸がある。どんな幸がほしいのか。それはどうやって獲る?険しいところにあるもの、どうやって獲る?みたいな、それがトレードスタイル
ではあるが、まず「山で遊んで見ること」「海で遊んで見ること」いきなり深いところまで入っていくんじゃなくて、徐々に山を、海を知っていくのでいい。それで生きていくのに足りなかったら、もうちょっと深くまで入っていこうか、となる。その日、その月、その季節、その年、自分が生きるだけ、自分の家族の分、自分の組織の分、生きていけるだけの木の実がありゃいいのだ。そういうもんだろう。
取れないブドウをいつまでも取ろうとして餓死するほど、アホなことはない。