相場における一個人と不完全性定理
正しい・間違っている、というのは主観である。何かの基準があるわけだ。
しかし相場参加者全員が相場を作っている。私はそこに集団的無意識があると思っている。
そういった意味では、全員予想自体は正しい(織り込まれる)とも言えるし、客観的に相場の立場からいえば(裏を返せば)全員間違っている、とも言える。
「水温を測る」とき、「温度計の温度が影響を与えるために正確な水温を測ることはできない」という話がある。「いや、そもそも正確な水温などないのかもしれない」とも思う。相場も同じことで、参加者である自分が、神の視点から見ることは出来ないし、自分が予想したその予想自体が相場という生命体の1つの細胞となって、変異を繰り返す。細胞は、また別の細胞に影響を与え、与えられる。
相場は鏡
相場は「道」がつくものー武道や茶道ーと同じで、「流派」がある。「流派」は、まとまった考え方や価値観から構成され、完成形のまとまりを持った1つの思想と実践の集まりであるが、その価値観で切り取りたい「源流」自体は同じだ。
武道なら、体を使ってどう相対するのか。「この技は誰が開発した誰のものだ」という武道家がいるだろうか。カウンターの流派、人を殺すための流派、狭いところで戦う流派、生かして捉える流派、心を折る流派、取っ組み合う流派、武道にも色々ある。これは相場も同じこと。色んな流派の人が集まって今の武道全体が形作られている。
茶道なら、茶室において相手をどのようにおもてなし、もてなされるのか。
流派は、エベレストをどのルートから登るのか、というルートABCに似ている。「道」とつくものは、目的を持たない。目的とする方向はあるが、それは北極星のようなもので、いつまで経ってもたどり着かないものだ。どこまで歩いても、たどり着かない。ただ気づくのは、どこまでも自分が一緒であるということだ。何かを目指してひたすら歩く、その道のりの中にいつも一緒にいるのが自分だとしたら。
相場は誰のものか、手法は誰のものか
技法には所有物はない。流派にも所有者はいない。「この技を会得している人」という状態はあるが、その人が技を所有しているわけではない。その根底にあるのは、存在への尊敬の念ではないだろうか。
「このルートを登ったことがある」があっても「このルートは私が開発したものだ」という登山家はいない。それと同じように、技やルートは自然にあるもので、必然的にあったものだ。「このポイントをみて稼ぐのは私が発見したのだ」という投資家さんもいるが、相場を「道」として捉えたとき、相場のここは私のものだ、という視点は存在し得ない。コロンブスが「アメリカ大陸を発見」したのは西洋史としてであって、本来そこにいた人々がいて、大陸はずっとそこにあった。「私のものだ」というのは情報空間や物理空間の線引を決める縄張り争いのようなもので、相場という道にはない概念である。「私のものだ」とされ、地図を作られ、名前をつけられ、削られ、何をされても、自然は形を変えてそこにある。
登頂とトレードの成否を測る縮尺
「登山道」には頂上がある。抽象度の高い「道」にゴールはない。道にはただひたすら自分を高めるという目的のみが存在して、終わりもないし、ゴールもない。それだと疲れてしまうから、中には試合、披露、チャレンジ、といった形で「終わり」と「基準」を決めて、よかったかわるかったか、測るものがある。相場においてはそれがトレードで、1週間、1ヶ月、年単位の収益率だ。
相場で利益を出す上では「流派や技法との価値観一致」があるだけでは十分ではなく、体現せねばならない。「何がどうなったら入れるのか」というロジック、「こうなったから入った」「こうなったからExitした」という実行度こそ重要であり、それが定量的に「求道者」たる実力を決める。
エベレスト登山とトレード
エベレストに登れたのかどうか、という視点に立ったとき、そこには「登山成功」と「登山失敗」の2パタンしかない。しかしエベレストに登るのは並大抵ではない、ということは誰もが知っている。
エベレストに登るためには、2つの視点がある。
1つは、「事前のルート調査ー高高度環境へ適応するための低酸素症へのトレーニングー実行計画の洗い出しー実行精度を高めるための事前のルート分割登山」といった「1チャレンジの成功率を高めるための調査とトレーニングと操作性の向上」である。
2つめに、「急変する状況への対応」「生き死にを決める進退判断」だ。死ぬ可能性のあるチャレンジだ。死ぬこともある。死んではチャレンジが終わってしまう。本気のチャレンジだったけど、今回はどうにもならない。勇気ある撤退。これが「複数回のチャレンジ」を可能にする。
山頂付近でしか味わえないような、環境もある。その環境を知ったら、次はどうするか、考えてまたトレーニングして、調査して、準備して望む。初回の登山でエベレストに登れる人はいない。だから「生きて帰る」ことが重要だ。
「最速の車を組み、全力でアクセルを踏みつつ、ときに状況次第では全力ブレーキをかける」ことが、エベレストを登頂するための条件になりそうだ。ポイントは「1回1回の試行の成功確率を高めること」「生き延びること」だ。トレードはそこまで大げさではないが、似たところがあるように思える。
いつまでも日本の山に登っていても、何万回と繰り返してもエベレスト山頂には辿り着かない。
トレードと収益
トレードに納得感は要らない。トレンドさえ読めれば、どこまでいくかは相場次第だ。どんな勢いになるかも、どこで横軸調整を挟むかも、全て相場次第である。
そこには「価格の動き」と「一定のリズムで流れる時間」がある。チャートを見れば、二次元の中に「傾き」が直線で表され、それすらも時間の変化を考慮する「勢い」を示す曲線が描かれている。
1つのチャートを異なった倍率のスコープでみれば、まるで人間の中の各臓器、血液、情報、神経、細胞といった異なる次元の塊同士が、お互いにダンスを踊るように、呼吸ともいえる上下運動を繰り返す。見ているだけで美しい。しかし見ているだけではなく、登頂しないといけない。チャレンジしないといけない。相場と一緒にどうやってダンスを踊るのか。柔らかく、冷静な態度で、敵でも味方でもない相場と向き合い、会話をして、ポジションを取っていく。
ポジションを取るために、1チャレンジの成功確率を高めるための事前調査を行う。どんな季節に行うか。どんなルートで登るのか(想定)。どんなタイミングで登山を決定するか(なんのダウが転換したら、何に接したら、何を越えたら、どんな状況で)。事前に必要な道具は持ったか。難所はどこにあるか(その場合の対処)。これらを「エントリーパターン」として頭とリュックにパッキングしたなら、あとはそのときを待つだけ。